2019/2/12-2019/2/16 九州縦断の旅(③長崎)
3日目は熊本から長崎へ。





このあと、長崎原爆資料館へ向かった。
私のこれまでの人生では、(恐らく北陸からの距離の差もあるだろうが、)世界で初めて核兵器が使用されたという点で、広島の原爆資料館の情報に触れる機会が多かった。広島のほうが施設の規模が大きく、メディア等で目に触れる機会が多いということもあるだろう。
そういう点では、長崎は比較的小規模でシンプルなのだが、確実に心に迫るシンプルともいえた。
うまく言葉で言い表せない自らの語彙力のなさを恨むばかりなのだが、あの日、長崎で何が起きたのかを見せつけられる展示は、頭を思い切り殴られたかのようなショックを受けた。
これは展示がよく考えられているゆえの結果なのか、それとも単に私の受け取り方のせいなのかは分からない。だが、資料館を出るころには、核戦争がいかに悲惨で、惨く、むなしいものなのか、ということを、全身で感じたように思う(このような感想として文字に起こすと、とても薄っぺらく見えてしまうのが非常に悔しい)。
少し話は逸れるが、手塚治虫の「火の鳥」のうち、「未来編」でも、同じような心情の体験をした。詳細なあらすじは他の解説や本編に委ねるが、電子頭脳の決定により国家戦争状態に突入することになった人類は、開戦後わずか2ページ程度で滅びることになる。未来編は、ストーリー開始時点で人類はほぼほぼ滅びかかっていたわけだが、人類史のおしまいの描写はあまりにもあっけなく、最初の読後はその恐ろしさに、食事すら喉を通らなかったほどであった。
さて、一行は、この日の泊地である佐世保方面へ。
常にムスっとしておりなかなか怖そうなおばちゃんが一人で切り盛りする、現地のバーガー屋で軽めの夕食とした。
怖そうなおばちゃんではあったが、バーガーの具材がこぼれない持ち方と食べ方を、ポツリポツリムスッと指南してくれる、心優しい不愛想といったところだった。

久しぶりに更新してみよう、と思った次第
随分と久々の更新になってしまった。
もともと三日坊主というか、飽きっぽい性格が強い私なので、序盤は新しいものが楽しくてジャンジャン投稿していくものの、徐々に更新頻度が落ちていき、突然フェードアウト・・・という、これまでの人生で何度も経験してきた投げ出しの定番コースを辿ってしまったのである。
とはいえ、このブログはもともと、自分がいつどこへ遊びに行ったかを管理する目的で始めたところがあるので、そろそろ重い腰を上げて再開しなければ、という焦りが生じた。それゆえの突然の復活である。
ところで、ブログ執筆を再開するにあたり、最初の記事でどのようなことを書いたのか、改めて確認してみようと思った。あわよくば上記の開設経緯なんかも記載してないかな~・・・などという気持ちで記事を遡ったのだが、なんと最初の記事は、なんの前振りもなく旅行記だった。
つまり、こんな復活のあいさつなど書かずとも、いきなり投稿を再開しても大して変なことはなかった、ということであろう。
しかし、こうして書き始めてしまったからには、軽いあいさつがてら、雑記帳のごとく、前回の更新から今までのことを少しネットの海に流すとしよう。
というか、これが書きたかったと言っても過言ではない。昨年から今までの生活の変化をこのブログの、まさにこの記事に書き連ねることで、過去の清算を行い、ひとつの区切りにしたい。
実は、以前にブログを頻繁に更新していた頃に勤めていた会社を、退職した。
前職は、いわゆるSES企業と呼ぶべきか、つまりはIT下請け企業の社員として、やはり俗に「ITドカタ」と揶揄される職業に就いていた。
退職した立場で"揶揄される"と書くと否定的な語感があるが、会社そのものは有給休暇も取りやすく、年間休日も120日以上あり、残業代なんかも申請した分だけしっかり支払われる(もちろん誤魔化しなどなく、実際に従事した分がちゃんと出る)環境であり、かなり恵まれていたのだろう、と今でも振り返ることができる。
ただ、私自身の怠惰な性格が災いし、環境も相まって、終わりの見えない炎上状態に陥ってしまい、「自分にこの仕事は適性がなかったのであろう」と踏ん切りをつけ、退職を願い出た次第である。
なお、このころの私は他責思考がかなり強かったため、このような状況を招いた原因(あるいはトリガー)を、敢えて強調して私自身と置いている。実際、会社側のアサインや、元請け側の無茶な要求がなかったわけではないことは、退職交渉時にも意識合わせはできている。しかし、そのような中であっても、「ITエンジニアたるもの、~・・・」という意見や批判を受けるのはもっともであると考え、「私の適性がなかった」という理由にひとまず着地させている。
あまり細かいことを書いてしまうと身バレしそうなジャンルであるし、情報漏洩の疑いなぞ掛けられたくもないので、とても大まかな状況だけを記すにとどめるが、自分と、その周囲で悪かったと思うところを、主観的に書き記していく(つまり、愚痴りたいだけなのだ)。
実はこれは、第2稿である。
初版は愚痴というよりは呪詛に近いものであったから、あとから読み返してみると、まとまりはないし言いたいことも分からず、書き殴っただけになってしまったのである。
なお、箇条書きを採用しつつ文末に読点が付くのは、本来のお作法的にはアウトなのだが、許してほしい。
<まわりが悪かったと思うところ>
- システムの知識の偏り
- 当初、プロジェクトメンバーは元請け1人(リーダー)、導入担当SES2人、開発担当の弊社が3人(先輩、同期、私)となっていたが、システムの知識やモジュールの仕様把握に関しては、弊社の先輩がずば抜けていた。参画当初、その先輩のもとで作業できたことは、かなりラッキーだったと思う。
- 先輩が元請けにヘッドハンティングされ、元請け社員としてチームに戻ってくるまでの2か月間が、本当に酷かった。
- タスク自体はコンポーネントの仕様改善であった。
- 開発担当の弊社メンバーはタスクを割り振られたときにそのコンポーネントの存在を初めて知ったため、先輩とともに設計に携わった導入担当SESの方々がメインでコード修正を行い、弊社は結合テストから着手。弊社からは、プロジェクト序盤に少しタッチした、同じ元請けの別チームにいる上司も臨時でヘルプに入った。
- テスト環境にコンポーネントをインストールして実行するまですら難航し、やっと実行コマンドを叩けるようになったころには、リリース予定まで1週間を切っていた。
- テスト項目を1件進めるたびに、意図しない動作やデータ異常が確認され、しかし弊社メンバーでは知識が不足していることから、導入担当SESの方々を巻き込んでのコード修正を繰り返す。
- 導入担当の方も全知全能の神ではないので、全員でお手上げ。
- リリースが絶望的な状況であることを元請けのリーダーに説明するも、なんとかして間に合わせられないのかとガチギレ(最終的に、リリース予定日の午前4時まで作業して、ようやくリリース予定の再スケジュールをOKしてもらう)。
- このとき初めて、時間外労働が80時間に到達した。
- 瞬間湯沸かし器みたいなリーダー
- リーダーという地位はいろいろ大変なのだと思う(他人事)。メンバーの作業がスケジュール通りいかなければ、あるいはリリースしたものに重大なバグが見つかったとすれば、PMからまず叱られるのはリーダーである。そのような重圧のなかで、思い通りに作業を進めてくれないメンバーがいれば、腹立たしくもなるだろう。
- これは正直どの仕事にも言えることだが、理由に乏しいリスケジュールは基本的には受け入れられない。理由がないことを激詰め
- 通常であれば「〇〇の準備が少し手間取っていて、N日を要するので、〇〇を必要とするAモジュールとBモジュールのテストがN日遅れる」という見通しを立ててしかるべきなのだが、弊社メンバーが抱えていたタスクは、経験値的に見通しが立てにくいものばかりであった(前述のコンポーネント改善対応などがまさにそうだ)。
- ただでさえ遅れそうなのに、どのくらい遅れるのかも分からないと言われれば、そりゃ腹も立つので、激詰めされる。
- 上司と相談し、そこそこの時間を掛けてリスケジュール案を作成するよう命じられる。
- リスケジュールが認められれば希望があるが、そのような流れでリスケは一切認めない、となった場合、遅延が発生するとやはり激詰めされる。
- 「遅れそうな場合は早めに報告しろ」と言われ、自分にしては珍しく"何がどうなっていて間に合いそうにない"という理由を挙げた(つもりだった)際にも、「そっち(弊社)が切ったスケジュールなんだから意地でも間に合わせるよね?」と言われたことがある。
- 案の定、報告の通りのリスクで間に合わなかったら、今度は「早めに報告しろって言っただろ」と怒り始めたので、この時はさすがに無茶苦茶だと思った。
- 私が離職する前の半年くらいは、弊社メンバーは完全に炎上状態であったのだが、リーダーが「いまあるタスクを止めて、優先度最大にしてこっちをすぐ直してください」というようなタスクの投げ方を、ほぼ毎週してきていた。
- "優先度最大のタスク"①を止めて、別の新しい"優先度最大のタスク"②に取り掛からなければならないうえ、「タスク①はいつ終わる?」「それが直らないとお客様に迷惑」という圧の掛け方を何度もしてくるため、メンバー全員が疲弊してしまった感がある。
- もっとも、ここまで火だるまになっている状況を最初から回避していれば、緊急の障害修正への対応能力もここまで削られてはいないのだろうが・・・。
- 私は信用されなくなってしまったので、発言が許されない(見出しの言葉が強い)。
- 度重なるミスなどで、「あなたの発言は完全に信用できないです」という立場になってしまい、リリース済みのプログラムの仕様確認の回答や、各種ドキュメント・スケジュールの回答は、(たとえ正解であっても、即答できるレベルの内容でも、)全て上司を通さないと受け入れてもらえなくなっていた。
- そもそもこの発言をされてしまうまでの状況に達している自分も相当"ヤバいやつ"であることに留意。
- 「信用がないってのはこういうことなんですよ?」とか言われても、もう「ハイ」としか答えられないよね。
- 度重なるミスなどで、「あなたの発言は完全に信用できないです」という立場になってしまい、リリース済みのプログラムの仕様確認の回答や、各種ドキュメント・スケジュールの回答は、(たとえ正解であっても、即答できるレベルの内容でも、)全て上司を通さないと受け入れてもらえなくなっていた。
- 正直なところ、人材アサインミス
- 最初のシステムの知識偏りの項に関連して、先輩離脱後の弊社メンバーの戦力不足はあると思う。
- これについては、本文中でも触れたとおり、会社側も認めている節がある。
- 一応、先輩の離職直前くらいに、その年の新入社員が投入されている。
- 同じくらいに元請けからもメンバーが増員され、中核メンバーのひとりになるはずだったが、会議中にPMとガチ喧嘩をしたのちメンタル不調となり、配置換えで離脱していった。
- この頃、弊社からは先輩の交代要員として、中堅社員を参画させたい旨の打診をしていたが、元請け側は、上記のPMガチ喧嘩社員を入れるから人員は大丈夫、と増員を却下したことを聞いた。
- 下請法のきまり(元請けから下請け企業の作業者に直接作業命令を出すことはできない。下請け企業の代表者がとりまとめ、自社の作業者に作業命令を出す。)を、私も同期も知らなかった。
- あまり年功序列とか学歴とかの話はしたくないが、先輩離脱後の弊社メンバーは、私が最年長の大卒新卒、同期は高卒の新卒、後輩も専門新卒となっており、リーダーからの作業依頼は全て私に指名されて回ってきていた。
- 見出しの通り、当時の私は下請法のきまりを知らなかったので、回ってくるタスクは全て私に割り振られたものだと勘違いして、身動きが取れなくなった。
- 見かねたリーダーが、「{私}が全て抱え込む必要はない、同期や後輩に指示してやらせればよい」と教えてくれたが(このときはまだ"信用"されていたため)、やはり下請法のきまりを知らない同期は、「気持ちは分かるけどこっちも自分の仕事があるから、悪いけど{私}がやって」というふうに断り、タスクが戻ってきた。
- あまり年功序列とか学歴とかの話はしたくないが、先輩離脱後の弊社メンバーは、私が最年長の大卒新卒、同期は高卒の新卒、後輩も専門新卒となっており、リーダーからの作業依頼は全て私に指名されて回ってきていた。
- 最初のシステムの知識偏りの項に関連して、先輩離脱後の弊社メンバーの戦力不足はあると思う。
<そのうえで、自分が悪かったところ>
- 強い他責思考
- どこか他人事
- これはかなり炎上状態が大詰めになっていた時期だったからでもあるが、休日の予定を全て返上して障害修正をやらなければならないというレベルで遅れているときでも、自分の予定を優先させようとした。
- 休日明けメドのリリースであったが、直前のテスト進捗状況は絶望的なものだった。
- 出力想定と実際の出力に相違があることに気付かないまま、後輩の手を借りてテストを進めており、大幅な手戻りを発生させてしまった。
- リーダーによる「信用できない」のくだりが始まったのは、このあたりが大きい。
- この状況でも、「この先の休日には予定を入れてしまっており、動かせない」「進捗状況と内容から、リスケさせてほしい」などと、自己中心的な発言を繰り返していた。これはさすがに人間の屑。
- これはかなり炎上状態が大詰めになっていた時期だったからでもあるが、休日の予定を全て返上して障害修正をやらなければならないというレベルで遅れているときでも、自分の予定を優先させようとした。
- "誰かに手伝ってもらう"が常態化(問題を育てがち)
- 困難な壁に行き当たったとき、誰かに助けてもらうことは、仕事としては自然な流れである。しかし私の場合、問題が顕在化するころには、自分ひとりで解決できる容量をとっくに超えてしまっていることが多かった。
- これは自分自身の問題もあるが、弊社メンバーの構成や、テレワークという環境要因もあるかもしれない。
- 困難な壁に行き当たったとき、誰かに助けてもらうことは、仕事としては自然な流れである。しかし私の場合、問題が顕在化するころには、自分ひとりで解決できる容量をとっくに超えてしまっていることが多かった。
本当は、というより、この第2稿に書き換える前は、はじめから経過を追う形で詳細を書いていたのであるが、やはりその構成では文章にまとまりがなく、ただ粘度の高いじめじめした呪詛を書き連ねているだけで要領を得ないので、書き記すのはこのあたりでやめておく。
私としては、"いろいろあった"2年間をかなりあっさりまとめたつもりなのだが、それでもこのボリューム感である。
退職後は、しばらく無職という身分を謳歌したのち、縁あって全く別の業界で、全く別の仕事をしている。
これが正解だったのかどうかは分からないが、今は毎日が充実しているし、前職で過労死やそれに近い状態にならずに生き延びることができたことに感謝している。
鶏が先か卵が先か、ではないが、私が原因であったのかもしれないし、もともとリーダーとの相性や環境が良くなかったのかもしれない。
あるいは、業界ではこのような現場は普遍的で、むしろ辛抱できなかった私が全面的に悪いのかもしれない。
そのあたりも踏まえて、改めて、自分を納得させる意味も込めて総括すると、やはり「私の適性がなかった」という結論に落ち着くのである。
今回、改めてこうしてまとめてみて、「あそこがよくなかったんだな」と思うところは、たくさんあった。IT業界に長く身を置いておられる方々からすれば、「そりゃそうなるだろ」「自業自得」という声が出ることも覚悟の上であることを付け加え、この話の〆としたい。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
2019/2/12-2019/2/16 九州縦断の旅(①鹿児島)
沖縄の漫湖に行こう!と旅をした悪友たちとの旅行が、再び始動した。
今回は特に地名など関係なく、九州を南から北へ抜けるルートである。




余談だが、(定番スポットということもあり、)この展望台と、後述の天文館むじゃきは、アニメ「中二病でも恋がしたい!」の第2期(戀)にて、修学旅行パートに登場しており、図らずも聖地巡礼を達成している。まあ、この当時はそもそも作品を未履修であったため、厳密には聖地巡礼としてカウントしがたいのであるが・・・。

九州に来ると面白いのは、結構なんでも日本最南端になる可能性があることだ。中部出身の自分としては、日本の端っこになるものがある、という感覚は身近なものではなく、よくわからない感動を覚える。恐らく、北海道を旅行しても同じ感想を抱くだろう(2024年9月時点で未だ北海道は未上陸)。
セブンイレブン指宿山川大山店は、同社店舗が沖縄進出するまでは日本最南端の店舗であり、駐車場には上のような看板が立っている。
奇しくも、同年7月に、セブンイレブン店舗の沖縄出店を迎えたことにより、この看板と称号は過去のものになってしまった。現在は「本土最南端」を名乗っているそうだ(Jタウンネット:2024年9月26日閲覧)。

(元)日本最南端のセブンイレブンを訪問したのち、やはり"日本最南端"のJR駅、西大山駅へ向かう計画であった。レンタカーに乗り合わせているので、全員でそのまま西大山へ向かっても良かったが、計画段階で列車の時刻がちょうどよいことに気付いたメンバーの提案によって希望制で、レンタカー移動組と観光列車「指宿のたまて箱」移動組で分かれて南方へ移動。
この当時、バリバリのギトギトに鉄分多めであった私は、迷わず列車組に名乗りを上げた。


JR九州の車両といえば水戸岡鋭治氏の、俗称「水戸岡デザイン」。「指宿のたまて箱」も例にもれず、水戸岡デザイン全開である。
水戸岡デザインといえば、鉄道マニアからは酷評されるシーンをよく見る。私が把握しているものだと、眺望を売りにしている特急車両の窓を木枠で飾ってしまっては台無しだ!というものがあり、確かにそうかもしれない、と思うところもあるが、この「指宿のたまて箱」については、とくに不満点はなかった(そもそも、窓枠を狭めるデザインは、額縁効果を狙ってのことであるようで、ただ内装だけを考えてそうしているわけではないらしい)。




このあと少しアクシデントがあり、少し時間が空くが、指宿の砂蒸し風呂を経て、再び鹿児島の市街へ。


1日目の夜はこれでお開きとなった。
2019/2/9 SLぐんまよこかわ乗車
秩父鉄道のSLパレオエクスプレスもそうであったが、SL列車というのは思っていたよりも頻繁に、そして手軽に乗れるものである。
直近で乗れるSLで、と軽い気持ちで空席を探してみたところ、思ったよりも簡単に空席が見つかったので、つい往復で予約を取ってしまった。
高崎支社のSL列車は、信越本線系統の「ぐんまよこかわ」と、上越線系統の「ぐんまみなかみ」の2種類が、交互に運転されているが、信越本線系統の「よこかわ」は比較的短距離・短時間で、少し物足りない気もするが、お試しには十分だ(とはいえ1時間程度の乗車時間である)。
とくに、復路のEL運転は空席十分で、座席残り僅かのSL運転とのギャップに驚いた記憶がある。

私はなまくらものなので、高崎9:47発という発車時刻のために、早起きして東京を始発レベルで出るくらいなら、駅前のホテルを取るタイプである。
前日に、しかもわざわざスワローあかぎを使って、高崎入りとした。


翌日は余裕をもって高崎に入場し、SLを出迎えた。







折り返しのEL列車はEF60牽引。往路のSL運転に比べ、明らかに乗車人数も、それどころか観衆さえ少ない。


このあと、「みなかみ」にも乗りたい思いが高じて、「YOGISHAみなかみ」に乗る機会が巡ってくるのだが、それはまた今度。
2019/2/4 長坂(大)カーブを試す
今ではとても考えられない行動力だが、電車のオタクを本格的にやっていたあの頃は、天気予報が快晴であれば、これはシャッターチャンスとばかりに行きたいお立ち台を考えていたものである。
関東圏では比較的定番な、中央本線の長坂大カーブに行ったことがないなと思うが早いか、八王子からの普通電車に乗っていた。


手持ちのレンズはシグマの17-70と100-400のみであり、どちらもこのカーブの射程距離としては消化不良となる組み合わせのため、70-200購入後に再訪したい、と思っていたり・・・。



このころ、中央本線でも特急のチケットレスサービスが開始された。
駅までの道中、スマホで座席を予約し、とくに追加で発券もせずに特急に座れる素晴らしさには感動した。












